暗中模索中

雪です。ホワイトなあれです。


さあ、以前書いたオールタイムベストなあれですが、ちょいと保留にさせてください。
なんだかいろいろ考えまして、もう浪漫堂の100冊とかやっちゃおうかとも思ったんですがつらつらおもんばかるに「ブログとはどこまでひとりよがり(凄い言葉だ!)で良いものか」という命題にぶち当たってしまいゴリ夢中、ウォーッ!サオーッ!と前に進めない状態でございます。


痴人の愛」「鍵」「瘋癲老人日記」と、谷崎潤一郎の一連の日記文体の作品を立て続けに読み、エロスと男の性とその哀しみにはもう笑うしかない。人に読ませる目的ではないはずの日記を人が読むための小説に仕立て上げた上、「鍵」なんかはさらにその中にもうひとつの構造を忍ばせた複雑なものになっておりますがとにかくまあすこぶるおもしろい。


他人の日記やら、書簡やらの形式の小説を読む楽しみというのは(「あしながおじさん」だったり、「錦秋」だったり「四畳半襖の下張り」だったり)どこかその読んではいけないものを読んでいるという背徳感の様なものがあるのかもしれません。もちろんそこにはフィクションならではのダイナミズムがあり、構成の妙がある。私がおもしろいと思えるブログというのもどこかそういう部分があるような気がします。


単純に自分の書きたいことだけを書き散らしているのではなく、そこに常に読者の目を意識し、多少は事実を捻じ曲げようが、脚色しようがおもしろいものが勝ち!というようなもの、だからといってそうは見せないテクニックが必要だったりするのかなと。


そらまあ、私がここで書いていることにしたって多少の脚色はあったりもしますし、何もかもを書いているわけではない。私が18歳の女子高生古本屋店主だって言うこともちょー秘密にしてきたしちょーうけるー(´∀`)v


こんなくだらないネタを仕込んでいる自分にすこし嫌気がさしたり、いったい何が書きたいのか俺はまあでもいいか少し楽しい。


ではまた。