もぐらとおだんごマドレーヌ


こちらの絵本、先日のワンデイブックスでお隣のブースで販売していた絵本の売れ残りを買い取らせていただきました。売り子もしていた小学生の男の子が読んでいた絵本たちだったそうです。
良いお客さんの手に渡って欲しいです、と言われてしまいましたが。


良い絵本が良い読者から良い古本屋に来たのですからもう太鼓判ぽん!です。ぽーん!


3冊ともに私の小さな頃からすでに名作であった絵本ですが、あらためて読んでみてもやはりおもしろい。
こどもにとってページを繰るという動作はとても繊細な動きを手に要求するものであるはずです。
何が出てくるのかドキドキしながら、自分の手で物語を進行させるという大仕事を遂行させる。
だからこそこどもが最初に手にするような絵本に関しては大人が真剣に選んで欲しいものと思います。


自分が子どもの頃とても好きだったからという理由で選ばれた絵本が、そのこどもの手に渡り、それがまた次の子へという循環が、これらの最早古典と言ってもいいような絵本が、今のこどもたちにも喜ばれている理由なのだとしたらこんなにうれしいことはありません。


一冊の本がつなぐこころとこころ、人と人。


そういった、やたらアナログなつながりに少しでも関わっていられるこの仕事に喜びと少しの誇りを感じています。


もちろん、絵本に限った話ではありません。自分の大好きな本を好きな人に読んでもらいたい、同じ感動を共有したい、という気持ちは本読みには共通のものだと思います。


好きな子に自分が好きな本をプレゼントする、貸してあげるという行動は、本好きで口下手で運動などが苦手な男子(女子も?)の求愛行動にもよく見られるパターンです。
猿が紅潮したハグキを見せつけるようなもので、その気のない相手にしてみりゃ迷惑この上ないものですが、


我々多少なりとも歳を経た本読みには、その件に関しましては必ず一つや二つ思い出したくもない痛い記憶があったりするものです。


万年思春期浪漫堂のふたつ名を欲しいままにしてきた私なんかそりゃあもう、


うわあああっぁあああああぁっ!!!!


てなりますね思いだすと。


ではまた。