浪漫ちゃん幼年記

幼稚園の最初のお絵かきの時間だったと思う。


その頃私の中で、ジグザグを書くことがブームだった。画用紙の左から右へジグ、ザグ、ジグ、ザグ、色を変えてジグ、ザグ、ジグ、ザグ、高さを変えてジグ、ザグ、ジグ、ザグ、今日も上手に出来たぞ、おもしろいなあ、もう一度ジグ、ザグ、ジグ、ザグ、


「あらあら、おもしろいもの描いてるねえ、浪漫ちゃん」
そうだろう、おうちでも毎日やってるからなあ、ジグ、ザグ、ジグ、ザグ
「上手だねえ、いろんな色で、きれいで」
そうだろう、いろんな色にするときれいで楽しいんだ。これはぼくが考えたんだ、ジグ、ザグ、ジグ、ザグ、
「浪漫ちゃん、これはいったい何の絵なの?」


ジグ、ザ・・・  えっ・・・・・・・


何って・・・・楽しいんだよ、こっちからこっちに上、下、上、下ってするんだよ・・・、くっ、くっ、て感じで楽しいの、楽しいのだけど・・・


「何を描いたの?道路?草?」


それではない、道路でも草でもない、というか、何を描くって?クレヨンはこうしてこうするとおもしろいのが紙に現れて楽しいんだけど・・・


「何を描いたか、先生に教えて欲しいんだ」


そんなこと・・・言われても・・・・・・、何、とか、わからない。


幼児の限られたボキャブラリーの中から、必死で、しぼりだして、しぼりだして、小さな声で、


「なんでもない・・・」


「なんでもないじゃわからないでしょ、おねがい、先生にだけ、教えて。何?」


「・・・なんでもない・・・」
楽しかった色とりどりのジグザグの上にぽたぽたっ、と涙が落ちる。


どんなに聞かれても言える言葉は「なんでもない・・・」だけ、先生は執拗に食い下がるがもう泣くことしかできない、どうしていいかわからない。


おそらくはじめての屈辱であると思う。何でもいいというから好きなものを描いたのにそれを説明することが出来ない。小さな頭脳はフル回転しているのだけれど説明できないということを言葉にすることも出来ない。あのつらい、息が詰まるような先生とのやり取りは今でも鮮明に思い出せる。これを書いている今も思い出すだけで胸が苦しい。


幼稚園の思い出や当時のお絵かきなどをまとめたアルバムにはその作品が残っている。


先生の手で書かれたタイトルは「なんでもないもの」


そうじゃないよね浪漫ちゃん。


告白 (中公文庫)

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ではまた。